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zoom RSS 何となく手ごたえ

<<   作成日時 : 2006/02/08 23:50   >>

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 7日の分。

 椹木野衣氏の「日本・現代・美術」を読み返す。『「もの派」と「もののあはれ」』の章。現代思想をダイジェストでもハイデガーまで追っかけた甲斐もあって、以前よりも理解できる部分が増えた。
 椹木氏は、「もの派」の作家、菅木志雄、ハイデガー、本居宣長を語る小林秀雄を取り上げ、「もの」について考察を展開する構図が共に似通っていることを指摘している。それらの考察は近代の乗り越えを目指されたものであり、逆に近代の呪縛の強さを物語っているという。(以下、同書から引用)「もの派」に今なお可能性があるとしたら、それはこのような歴史的規定性を認識したうえでかけられる、近代の内部においてしか可能にならない近代の相対化と、それへの抵抗をおいてほかにないだろう。(引用ここまで)
 うーん、そうなのか・・・。でも、だとしたらというか、それならば、という気持ちになる。そこに飛び込んでみてもいいんじゃないか。そう思わせるだけの可能性を「もの派」は感じされてくれる。
 この部分の話を「存在は表現になるか」で、演劇と絡めて詳しく書きたいと思うのだけれども、手に負えるかどうかわからない。ただ、そこにぶちあたってみよう。

 夕暮れ時、近所のスーパーに行った帰り、養護老人施設の前に一台の救急車が停まっていた。建物の中からストレッチャーが出て来て、おじいさんだかおばあさんだかわからないのだけれど、横たわった人の頭部が見えた。長い期間寝たきりであったことは頭部の感じで何となくわかった。道の反対側のその光景を見て、わたしは言いようのない心持ちになってとぼとぼと歩いた。少し先へ行くと、おばあさんの手を引いたおじいさんが前から歩いて来た。感じからして、以前にも日記に書いた老夫婦だと気づいた。家に帰り着いてもなお、大きな波のように押し寄せる、あえてことばにすると「無常」というか、そういう抗い難い力が覆いかぶさってきて、そんな気分でサバの味噌煮を作ったものだから少ししょっぱくなってしまった。

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